SandyとNaoのつぶやきcompany
2020年08月24日
人から疑いをかけられることのあの例えようもない
モヤモヤとした気持ちは、それを感じた時の年齢に
よらず耐え難いものがある。
「ウンチした?」とおむつを見たら
「あぁ、オナラだったのね。ごめんごめん」
そんな笑える疑いもあるけれど。
割と最近、さらに言えば大人になって最大の、そんな
疑いをかけられる出来事があった。
絶対絶対に違うから!そんなわけないんだから!
証拠だってちゃんとあるんだから!
お腹はきゅんきゅん痛くなるし、夜も眠りは浅いしで
なかなか散々の数日だった。
結論を言えば、もちろんこちらは正しくて、既に
解決済みの話である。
そのさなかに思い出していたことがあった。
子どもの頃に経験した、私の中の2大疑われ事件。
あれは小学校の確か3年か4年の時のこと。
4つ離れた妹と、母から渡された小銭入れをもって
プール上がりに自動販売機にアイスクリームを
買いに行った。戻る途中でお財布を持っていないことに
気づき、案内所のようなところのお兄さんに事情を
伝えた。彼に聞かれた「お母さんの名前は何て言うの?」
―Yです。
「あぁ、じゃあ届いてないね。」
ガッカリする私。すると妹が「そのお財布!」と
お兄さんの手元を指さした。
―それです、それです!そのお財布です。
「嘘言っちゃダメだよ。中に名前があるけど、
お母さんの名前と違うよ。だから渡せない」
妹と顔を見合わせた。何で⁉絶対にそれなのに!!
「これ、本当にお母さんのお財布?もう一回聞くけど
お母さんの名前は?」
…ほとんど泣きながら何度か繰り返したが、らちが
明かないので母のところに引き返した。
遅かったじゃないと言われたがそれどころではない。
話をして3人でお兄さんのところに戻った。
結論。お財布はすんなり母の手元に戻った。
なぜ?
中に書いてあった(貼ってあった?)のは、母の友人の
名前で、もらったか何かだったらしい。
あの時はホッとしたことが100%だったけれど、
今あの時の私に会えたなら言いたい。
「疑ってごめんなさいと謝ってもらった方が良いよ。
そうじゃないとこの先ずっとずっと、嫌な思い出に
なっちゃうから」と。
もう一つは、友だちだけで初めてディズニーランドに
遊びに行った時のこと。
ゆっくりお昼ごはんを食べてから、お楽しみの
スペースマウンテンの列に並んだ。もうすぐだね!と
ウキウキするやらドキドキするやらの私。
さぁいよいよという時になって、コートのポケットに
入れておいたはずのパスポートがない!ないない!
友だちに言われバッグの中やスカートのポケットも
探すが見つからない。きっと入れてくれるから先に
進んでて!と友だちに伝え、ゲートのお兄さんに話した。
「ないんじゃ入れませんね」彼はバッサリそう言った。
当時はパスポートの他にも乗り物によってABC…と
ランクの違うチケットがあり、今のようにパスポートを
全員が持っていること前提ではなかったためにそういう
事態が起きたわけだ。
でも、本当に本当にちゃんと買ったし、午前中に色々
乗ったし…いくら言っても通してはくれない。
お兄さんが言った「じゃあ聞くけど、ここに来る前に
最後に乗ったのは何?」
―えっと、この前はお昼ご飯を食べていたので…
あれ、何だったっけ⁉えっとー、あれは最初だったし
その次はあれだったけど、最後は何だったけ???
「最後に乗ったのを覚えてないってことはないでしょう。
持ってなかったんだよね。友だちには伝えておくから
ここから出て外で待ってて」
並んでいるといくつかある緊急用の扉を出たのは、あの時が
最初で、今のところ最後だ。
今だったらスマホで写真をパシャパシャ撮っているだろうし
ちょっと助けてーとそれこそLINEで友だちを呼べただろう。
でもあの時は違った。写真は写真屋さんに出さなければ
見られないし、時間だって分からない。証拠は何もなかった。
でもさ、夢の国でしょ?子どもをはなから疑っちゃうのって
有りなわけ?しかも、嘘ついてなんかなかった子どもを。
あの時、単に「パスポートもチケットもないと入れないんだ
ごめんね。見つかったらまた来てね」とでも言ってくれたなら
そうだよね、なくしちゃったんだもん仕方ないかと何十年も
たった今も覚えていることはなかっただろう。
だけどあの時のお兄さんは違った。余計なことを言った。
「この前に何に乗ったの?」って。私を疑ってそう言った。
大人だったら、頭のいい子どもだったら、覚えていなくても
適当なことを応えることができたかもしれない。
でも私はそういう機転の利く子どもではなかったのだ。
あの時は悔しい気持ちだけが100%だったけれど
今あの時の私に会えたなら言いたい。
「疑われて本当に本当に悔しいけど、でもそれは、Naoが
純粋で、大真面目だってこと。だからそう思うんだよ。
そういうの、すごく大事。その気持ち、大人になっても
ずっと役に立つからね。無駄じゃないよ。」と。
人から、特に大人から疑われるということは、子どもにとって
それはそれは辛いことだ。そのことを私は知っている。
そして多くの子どもは私のように、いつまでもそれを忘れない。
だから大人は、子どもを疑う時に、それを口にする前に、
よく考えた方が良い。口にしてからまずかったかもと
気づいたなら、すぐに謝った方が良い。ほとんどの場合、
ひと言の心のこもった「ごめんね」で解決する。
少なくとも私はそうである。
ちょっと嫌なことがあった時「あの人の代わりにごめんね
って言ってくれない?」と家族で言い合うことがある。
冗談みたいだけれどそれで本当にスッとすることが多い。
ありがとうはとても大事。それはみんな知っている。
ごめんねは、もしかするともっと大事な言葉、
なのかもしれない。
今改めて、つくづくそう感じている。 -N