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文京区 家庭的保育事業 小堀奈央

TEL.03-3822-8488

〒113-0021 東京都文京区本駒込4-27-3-103

SandyとNaoのつぶやきcompany


2019年08月26日

ピアノと弦楽器の発表会に行く機会を与えられた。
発表会にはプロの演奏とはまた違った心地よさがある。
がんばれ〜!という先生方と聴衆の優しい気持ちが、
発表会の会場にはいつもあふれていている。
そんなあたたかさに包まれる時間が、好き。

あれは学芸会だったのかな。
体育館に椅子がたくさん並べられて、学校の全クラスが
集まった。支援学級の子たちの番になり、彼らがとても
一所懸命にお芝居しているのを見ていたら、私は自分でも
びっくりするくらいヒックヒックするほどに泣けてきて
この気持ちは何なのだろう、こんなに泣いて恥ずかしいと
戸惑ってしまった。
お芝居が終わってみんなが拍手をしているタイミングで
担任のK先生がスッと近づいてきて、耳元で言った。
「美しい涙だね」と。
そうか、恥ずかしがらなくていいんだ。
こういうのを美しい涙と言うんだ!と嬉しい気持ちになった
ことを、K先生のその言葉と共に今でも良く覚えている。

私の心を初めてあんなにも震わせたのは、ブロードウェイ
でも劇団四季でもない、あの時の支援学級の子どもたちだった。
今思えば、子どもの運動会や学芸会を見守る親の、その気持ち
に似た感覚だった気がする。
走るのが遅くても、逆立ちが苦手でも、例えセリフを忘れて
しまっても、そんなのどうでもいい。今そこでがんばっている
子どもの姿、その日のためにきっといっぱいがんばった
一人一人の背景…。そんなことを想像すると、涙は自然と
溢れてくるものである。
それはまさに母性。

母性を調べると、
先天的に備わっている女性の機能的なことを言ったり、
母親の特質を言ったりするらしいが、その他にとてもしっくり
くるものがあった。
『母性は,本能的に女性に備わっているものではなく,
一つの文化的・社会的特性である。したがって母性は,
その女性の人間形成過程,とりわけ3~4歳ころの
母親とのかかわりによって個人差がある。』

母と私との関係は、最近の親子に多いいわゆる友だち
親子という風では全くないし、子どもの頃から程よい
距離感があったように思う。
近所の友だちと集まって道路で遊んでいる時、
(当時は東京でもそんな光景が当たり前だった)
他のお母さんはその場にいることが多かったが
母は大概ベランダで洗濯物を干しながらこちらを
見ていた感じだったし、勉強をしていると夜食を届けて
くれるなんていう話に憧れたものだが、母はいつも
さっさと寝てしまう。受験の朝だって、普段と同じように
行ってらっしゃいと見送られただけ。特別感は何もない。
けれど、それらのことに関して特段の不満はなかった。
その距離の中には信頼がある。
だから、そう感じるのかもしれない。
3〜4歳の頃の母親との関係、私はお陰さまでとても
良かったのかもしれない。

私の感覚や体験によると、母性というのは何も、
子どもをお腹に宿し、産んで育てる中で生まれる
というだけのものではなく、子どもの中にでも
存在するものなのだと言うことができる。

男や女という区別をしないようにという風潮に
なってきてはいるが、母性というものがこの世から
消えて無くなることはないと思う。
母という字が使われてはいるが、男性の中にもそれは
存在する気がするし、私が多分そうだったように、
子どもの中にだってある。

いずれにせよ誰かを、何かを愛しみ慈しみ、心を
揺さぶられるようなその気持ちは、尊い。
多くの人の優しさで満ちたあの空間に招き入れて
くださったSくんのおばあちゃまに、改めて
感謝の思いを届けたい。-N