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文京区 家庭的保育事業 小堀奈央

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SandyとNaoのつぶやきcompany


2019年07月22日

中日ドラゴンズの応援歌の「おまえ」という歌詞について
話題になったことは記憶に新しい。
江戸時代には敬意をもって使われていたらしいが、
明治の頃からはそうではなくなったようである。

おまえ。
幼い頃からの記憶を辿ってみたが、そう言われたことは
一度もなかったと思う。少なくとも家庭内では。
愛情を込めた「おまえ」の使われ方があるのも確かなので
それについては一概に言えないけれど、自分が言われたら嫌だな。
「食う」とか「うまい(美味しい)」とか「すげー」とか、
「おまえ」も含めて大人の女性がそのたぐいの言葉を口にする
のを耳にするにつけ、いつもモヤモヤしたものを感じている。
まぁ人は人として、とにかく私はなるべく正しくて美しい
言葉づかいというものを大切にしたい、そう思っている。

卒業式の練習の時などに背筋を伸ばしたり膝を閉じたり
姿勢良くいることを、先生方はよくおっしゃっていた。
「練習でできないことは本番でもできない」と。
自分が大人になってみて、本当にその通りだなと思う。
逆を返せば、日頃それを普通にしているなら
何事もいつだって苦労なくできるということ。
言葉づかいはまさに、そういうことの1つだと思う。

いよいよ多くの子どもたちに夏休みがやって来る。
今年も駅や空港で恒例の質問があるだろう。
これからどこへ行くかの問いに対して
「◯◯~」と場所だけ言う子どものなんと多いこと。
「◯◯です」と聞くと頭を撫でたくなる。
(まぁ質問する側の大人にも「どこ行くの?」などという、
答えに「です」や「ます」を付けるのがもったいないような
聞き方をする人もいるわけだけれど…。)
夏休み後半の問いには、大体3パターンの回答がある。
「おばあちゃんちに行った〜」
「おばあちゃんの家に行ってきました」
「おばあちゃんの家に行って、みんなでスイカ割りをして
楽しかったです」と、例えばこんな感じ。
最後の答えに拍手を送りたくなるのは私だけだろうか。

子どもたちに対して私は、いわゆる赤ちゃん言葉をなるべく
使わないようにしている。
子どもがそれを言うことを決して否定はしないが
「マンマね。そうね、ごはん食べようね」と続ける。
「モグモグね」よりも「モグモグよく噛んでね」と言う。

エントにタータにクックだとか、大人になったら100%使わない
この呪文のような言葉は、本当に必要なのだろうか、と思う。
座る、くつ下、くつ。最初からこれで通じている。
大人がそれしか使わなければ、子どもはそれを自然と使う。

2歳2ヶ月のHくんは「お茶もっとください」と言えるし、
1歳10ヶ月のSくんはこの頃、助詞を巧みに使って話している。
1歳8ヶ月のKちゃんは、言葉に感情を乗せて発する名人である。
インプットしたことしか、アウトプットはできない。
ならば、最初から正しく美しく感情を込めた言葉を周りの大人が
使っていれば、子どもはそれをごくごく当たり前に使い出す。
受験でお父さまお母さまと言う必要があるならば、最初から日常的に
その呼び方を使えば良い。普段は違うのに、その時になって
急に直されても、子どもは苦労するばかりに違いない。

保育というものは、すぐには成果の出ないとても地味な仕事である。
だから時に、目に見えて華やかなパフォーマンスを披露するような
保育園もある。それを望んでいる保護者は少なくない事実もあるし
子どもたちのがんばりは素晴らしく、感動的でもある。
けれど、例えば植えた種に さぁ早く咲け、きれいに咲け と
次から次に水をやったところで根が腐ってしまうこともあるわけで
きれいな花を咲かせるためにはまず土を耕し、その季節や天気に
よって水をやる時間も回数も、都度変える必要がある。
花にはそれぞれ、咲くタイミングというものがあるだろう。
また別の角度からは、その準備のために疲弊している保育者の存在
についても考える必要がある。日々の膨大な事務仕事に加えての、
それに伴う作業に疲れ果て、休日は寝ることだけが楽しみなんて
ことになっている話もよく耳にする。疲れ果てた保育者の顔は
どんなだろうか。笑顔で子どもたちに向き合えるのだろうか。

今から5年後10年後、更にはもっともっと先に子どもたちがそれぞれの
タイミングで美しく花開くことを考えて、一見代り映えしない日常を
丁寧に積み重ねていく。心地よい言葉のシャワーを浴びせながら。
そこには当たり前に、たくさんの笑顔がある。
本来保育とはそういうものなのではないのだろうか。と私は思う。
子どもたちにとって無理なく楽しく安らげる、そしてまた大人もいつも
笑顔でいられるそんな場所を目指している。
Sandy'sの保護者の皆さまはきっと、その辺りをご理解くださっている
のではないだろうか。感謝である。

早番や遅番はなく、朝も帰りも同じ保育者がずっといる。
家庭的保育や保育ママならではの保育スタイル。
それは子どもの心の安定にとって最高に良いことなのだけれど、
もしもその保育者が良くない言葉づかいをしていたのなら……。
子どもはすぐに真似をするし、覚えて使う。恐ろしいことでもある。
周囲の大人の影響力は大きい。むしろそれが幼い子どもたちにとっては
すべてであることが多い。保育者としては、常にそのことを意識したい。


なんて真面目っぽいことを、時差ボケでなかなか寝付けない夜更けに
暗闇の中でポチポチと打ち込んでみた。-N